ウズベキスタン旅行記② ブハラ

2024年9月のウズベキスタン4都市周遊、ヒヴァ観光を終えて車で移動したのはブハラ。こちらもウズベキスタン文化観光局の情報を参照すると、なんと2500年以上前からの歴史があるという古都。ヒヴァのあったホラズムの東、ソグディアナという歴史的な地域の中心的な都市のひとつ。13世紀にモンゴルに破壊されたあと、16世紀にブハラ・ハン帝国の首都として復活を遂げたとのこと。
旧市街エリアが、ブハラ歴史地区/Historic Centre of Bukharaとして、1993年に世界遺産登録されています。

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マドラサホテルに宿泊

ヒヴァから6時間の車移動を経て、ブハラ滞在の拠点となるAmulet Hotelに到着。ヒヴァと同様にマドラサ(イスラムの神学校)を改装してホテルとした、超雰囲気の良い建物!中庭の置物などもセンスが良く、ただ古い建物を活用するだけではなく、滞在をより良いものにしようという意思が感じられます。

このホテルの朝食がまためちゃくちゃ充実していて、ブハラにまた来ることがあったら、何度でもこのホテルに泊まろうと思いました。支払いも無事にカードで完了できて、2泊2名で26,000円弱です。

中庭が素敵!
部屋の入口
夜の外観
朝食。幸せすぎて倒れそう

ブハラ観光

ブハラ滞在は2日間弱。到着日は疲れて出かけなかったため、実質は1日半程度です。翌朝、素敵な朝食で腹を満たし、観光開始。ホテルはブハラ旧市街の東側にあり、ほとんどの観光スポットが徒歩圏内なので、近いところから順番に巡る戦略。まずはラビハウズと、そのすぐ近くにあるナディール・ディヴァンベギ・メドレセ。この辺りはブハラ観光のスタート地点という感じで、観光案内所やツアーの客引きなどもあります。
“ハウズ”とは池のことだそうで、四角い大きな池が。水は緑がかっていますが、白鳥がいたり、周囲には木も多く、雰囲気は良いです。レストランも多く、夜はダンスもしていました。
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセは、偶像崇拝を厳禁とするイスラム教には珍しく、鳳凰と鹿(犬にしか見えない・・)、中央には人の顔がタイルで描かれているメドレセ(神学校)です。他で見ないので面白いですね。鳳凰が特にきれいです。
中は入ってないですが、すぐ近くにあったナディール・ディヴァンベギ・ハナカも装飾が美しい建物(ページ上部の写真)。

ラビハウズ
人面が貴重なナディール・ディヴァンベギ・メドレセ

少し先にあるマゴキ・アッタリ・モスクは、1936年に考古学者によって土の中から掘り出されたモスクだそう。他の建物に比べると傷みが見られるけど、良く見ると細かな装飾や青いタイルが残っており、歴史を感じる建物。

マゴキ・アッタリ・モスク
ドームの骨組みやタイルの装飾が確認できる

続いてタキ・ザルガロン、16世紀に建てられた丸屋根の建物。屋根の上にコウノトリが乗っています!”タキ”とはバザールのことだそうで、今でも中は土産物屋などお店で埋め尽くされています。この他にもタキ・テルパクフルシャンという似た雰囲気のバザールの建物がありました。

タキ・ザルガロン
タキ・テルパクフルシャン

タキを通り過ぎて進むと、ブハラ観光のメインスポットのひとつ、ポイカロン広場に建つカラーン・ミナレットに到着。1127年建てられたというミナレットの隣には、1514年に建てられたというカラーン・モスク。青い丸屋根の上にはイスラムのシンボルでもある三日月が見えます。

カラーン・ミナレット
カラーン・モスク

塔を挟んで反対側には、1536年に建てられたというミルアラブ・メドレセ。2つの青い丸屋根が美しいです。広場は夜、ライトアップが行われて、昼とはまた違う雰囲気が味わえます。

ミルアラブ・メドレセ
ポイカロン広場のライトアップ

その近くには、ウルグベク・メドレセも。ティムール朝の建国者、ティムールの孫であるウルグベクによって15世紀に建てられた、中央アジア最古の現存する神学校だそうです。ウルグベクさん自身も天文学者、数学者であり、学術的な功績が高い人のようです。ウルグベクさんに関する建築物は、このあとサマルカンドでも見ましたが、ブハラではこのメドレセのみとのこと。向かいに建つアブドゥルアズィズハン・メドレセのファサードも立派!

ウルグベク・メドレセ
アブドゥルアズィズハン・メドレセ

中心部からだいぶ進んできて、アルク城に到着です。これまで見てきた建物とは規模感の違うこちらは、ブハラ・ハンの居城として使われていたもの。天井が美しいモスクや、王と謁見する広場など、中にいくつもの建物があります。高い建物なので、ここからカラーン・ミナレット方面を見渡すこともできます。

アルク城
アルク城から見るカラーン・ミナレットとモスク
城内のモスク、古いけど細工が立派な天井
謁見の広場。いつの世も権力者は平民より目線が上

アルク城の向かいには、ボロハウズ・モスク。ブハラ・ハン専用のモスクとして1712年に建てられたもの。柱や天井の装飾が美しく、現在もモスクとして使われています。ハウズという名前の表すように、広場には池が。池のほとりに小さな可愛いミナレットもありました。

ボロハウズ・モスク
柱と天井が美しい
小さなミナレット
扉の細工が素敵

徒歩ブハラ観光もいよいよ佳境。聖なる場所とされるチャシュマ・アイユブ。ブハラの人々が干ばつで苦しんでいたとき、預言者ヨブが現れ、杖で叩いたら泉が湧き上がったという伝説がある場所だそう。歴史を感じる蛇口から、今も水を汲むことができるようです。この建物も屋根の上にコウノトリが!

チャシュマ・アイユブ
蛇口から水が汲める

このさらに先のサーマーニー公園の中にある、非常に重要な建物がイスマーイール・サーマーニー廟。9世紀の終わりに建てられたという中央アジア最古のイスラム建築。土に埋もれていたため、チンギス・ハンによる破壊を免れたそうです。良かった!
それまで見てきたモスクやメドレセとは趣が異なり、外からも中からも、複雑な装飾を飽きることなく眺め続けられる、素晴らしい建築です。外から眺めて終わりにする観光客が多そうでしたが、入場料を払って中に入ったら、門番(廟番?)のおじさんが、張り切って建物と一緒に写真を撮ってくれました。中に差し込む光の美しさを味わうためにも、入る価値アリです!

イスマーイール・サーマーニー廟
中も一見の価値アリ!

帰りはYandexを呼んで一気に街中まで戻り、逆方向のためまだ見ていなかったチョルミナールへ。”チョル”とは4つという意味だそうで、小ぢんまりとして可愛らしい、4本のミナレットがあります。そしてここでも、屋根の上のコウノトリ!ライトアップを狙って夜行きましたが、翌朝改めて見に行きました。朝の光にタイルが反射して、こちらも美しい。

ライトアップしたチョルミナール
朝の光も良い!

2日目、サマルカンドに移動する電車に乗る前に、少し離れた場所にあるストライ・マヒ・ホサ宮殿へ。月と星の宮殿、という意味だそうです。雅ですね。ブハラ・ハン最後の王、アリム・ハンによって建てられたとのこと。ロシアの建築家が関わったということで、この建物も他とは雰囲気が違います。ステンドグラスなど西洋風のゴージャスな内装もありながら、屋根の上にはイスラムの三日月シンボル。孔雀の親子が我が物顔で庭を闊歩する、ユニークな空間でした。

ストライ・マヒ・ホサ宮殿
確かにちょいロシア感
ステンドグラスがきれい
フクロウがいる鏡
花の絵と細かな装飾がすごい
子孔雀の頭にも冠が

私がブハラの街中で一番気に入った建物がこちらの門。どうやらこれもタキ・サラフォンというバザールのようで、街に馴染んださりげないバザールの雰囲気が良かったです。小さな絵などを売っている中のお店も素敵でした。

タキ・サラフォン
塔のタイルが可愛らしい
水差し買って帰りたかったけど、荷物になるので写真だけ
夜も観光客で賑わう

ブハラでの食事

ヒヴァと違い、街の人々の生活もあり、観光客もいるブハラ。いくつか行きたいと思ったレストランは、どこもいっぱいで入れませんでした。人気レストランは事前予約が必要なようです。

ぶらぶらしながら入れそうな店を見つけ、サムサプロフなど、ウズベキスタン料理をいただきました。ウズベキスタンはイスラム教国ながら、ワインの生産もしており、ウズベクワインを飲んでみたかったのですが、残念ながらボトルしかなかったため断念。
暑い中歩き回ったので、昼間の休憩時にはテラスカフェで、ウズベクじゃない白ワインをいただきました!

サムサ
ウズベキスタンといえばプロフ!
キノコかな?
エナジードリンク!

ブハラ観光終了、アフラシャブ号でサマルカンドへ!

個人的にはウズベキスタン4都市のなかで一番気に入ったブハラ。名残惜しいですが、次の目的地にしてウズベキスタン最大の観光地、サマルカンドへ向かいます。ブハラ駅は旧市街から車で30分ほどかかりますので、余裕を持った移動がベター。

ブハラ駅

次回はサマルカンドについて書きます!ウズベキスタン4都市周遊、プランとコスト編、ヒヴァ編もぜひご覧ください

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